ゲームは楽しむのが前提だと思います
どうも~。
この週末は全国各地で降雪でしたね。
綺麗な雪景色も楽しめるけど、転倒やスリップ等々、事故や怪我に注意して過ごしてくださいね。
本題に入る前に少しだけ、前フリ話。
土曜日、僕が36万円を貸しているあんばー氏と一緒にShadowverseのJCG OPENに参加してみました。
総勢256人のトーナメント。参加賞が目当ての記念参戦でした~。とは言いながらも1回戦くらいは突破したいと密かに野心を抱いてました。
1回戦突破。(SMAPが僕です)
なんとか目標達成。大会のその後についてはどうでもいいので書きませんが、なかなか緊張感があって楽しめました!あと命の尊さとか、一緒に過ごせる時間の大切さとか、当たり前だと思っていたことの当たり前じゃなさとかを学べるいい大会でした。
さて、このJCG OPENに一緒に参加したあんばー氏(僕から41万円とBMWを貸りている)と、昨日、遊戯王をしたんです。
お互いに久しぶりの遊戯王でプレイングはボロボロ。
2人して「ウワァ~ミスッタァ!」って呪文を100回くらい唱えてました。
ここら辺から本題なんですけど、この下手くそな遊戯王のゲームがめちゃくちゃ楽しかったんです。
昔少し触れていた分、若干の予備知識はあったにしろ、ミスだらけの下手くそプレイがとても楽しかったんです。
TCGだけじゃなく、スポーツや格闘ゲーム、勝ち負けのあるゲーム全般に対する僕の持論なのですが、そのゲーム(競技)をする動機の原体験は勝敗に依存しない楽しさであるべきだと思うんです。
例えば、僕は学生時代バスケ部に入っていました。試合をすれば、勝ちは嬉しかったし、負けは悔しかった。自分のプレイが勝ちに繋がったら射精より気持ちいいし、自分の調子が悪くて負けた試合は最悪です。
でも、どれほど悔しくても、落ち込んでもバスケはずっと楽しかったです。いつでも好きだったし、いつでも楽しかったです。
僕がバスケを始めたのは試合に勝って嬉しかったからじゃないです。僕がバスケを続けたのは自分が練習して上達したからじゃないです。
小4の時、授業でやったバスケが楽しかったからです。その楽しさに心臓を掴まれたから、高校まで競技バスケを続けました。
上手くなりたい、レギュラーになりたい、試合に勝ちたい。もちろん思いました。でも、上手くなれなくても、レギュラーになれなくても、試合で負けても、それでもバスケが好きでした。だって、バスケはいつでも楽しかったんだから。
遊戯王も同じでした。
多少は頭が働く年齢になって、遊戯王というゲームの奥深さを知りました。子供の頃はゲームに勝つためのセオリーなんて一切考えてなかったと知りました。
でも、僕が思い出したように遊戯王をやりたくなる根本にあるのは、勝利の快感じゃない。
子供の頃、奥深さも知らない、勝利のセオリーも考えない、よくわからないけど友達とやってゲラゲラ笑っていた遊戯王が楽しかったからです。
ゲームやスポーツは多くの人にとって趣味・娯楽の類だと思います。けど、趣味とは言えども、そこには間違いない真剣勝負もあります。
誰だって勝ちたいし、負けたくない。それは間違ってない。
でも勝たなきゃ楽しくないし、負けたらイライラ。それって趣味・娯楽として欠陥を抱えていませんか?
勝ったらもちろん嬉しい。負けたらもちろん悔しい。やるからには強くなりたい。弱いのは嫌だ。全部、当然のことだと思うし僕もそうです。
でも勝敗や自身の熟練度に関わらず、そのゲーム(競技)は楽しいものでないと時間の無駄だと思うんです。
だって、勝つか負けるかの2分の1で楽しくないものを趣味にするくらいなら、面白い動画でも見てた方が間違いないでしょ?
特にネトゲに関しては、友達と顔を合わせて笑いながら対戦するのではなく(それも出来るけど)、世界のどこかにいる知らない誰かと顔も合わせずに勝敗を競うわけだから、この根本の楽しさを忘れて勝利至上主義になってしまう人がたくさんいる気がします。ネトゲでは対人戦であろうと、相手はNPCのように画面の中にいるわけだから。
ここまで偉そうに書いたけど、僕も時々忘れてしまうんだけどね。
あんばー(僕が将来家を買う時に保証人になってくれる人)と一緒にJCG OPENに参加して、途中で敗退したけど楽しくて、久しぶりに遊戯王をやって、下手くそだけどやっぱ楽しくて、「あぁ、これが原点だな」って再確認できました。
今の日本では色々な娯楽が提供されています。
負けたらイライラして毒を吐くような趣味なんて、やめてしまえばいいんです。
今の時代、趣味になんていくらでも出会えるんだから。
おしまい。