「流れ星の正体」の僕なり解釈
どうも。
2019年の個人的ニュースをさくっと振り返る記事を書いていて、その中でBUMPの「aurora arc」 の中から1曲だけさくっとお気に入りの曲について触れようと思ったらめちゃくちゃ長くなったので、別の記事にしました。
2019年の個人的ニュースをさくっと振り返る記事↓
オタクは語りだすと長いからあかんよなぁ。
ってことで今日は「流れ星の正体」について。
「流れ星の正体」が生まれる瞬間
1999年から音楽雑誌「B-PASS」にて連載されていた藤原のコラム「Fujiki」が2017年3月をもって154回目で最終回を迎えました。
その最終回がこちら↓
左側の文章から以下のことが読み取れます。
①自身のコラム最終回へ寄稿する文章を考えていたら曲ができた
②完成させてリリースする意思(メンバーやスタッフに聴いてもらう)
③完成前に読者に一番最初に伝えたかった
藤原がファンと交流する数少ないタイミングである「Fujiki」の最終回をきっかけに生まれた曲ですね。
そしてこの時から明確に僕らに届けようとしてくれている意思も感じます。
「流れ星の正体」で歌われていること
この曲について藤原はこう発言しています。
いただいたお便りは全部読んでいて、そのお便りによってコーナーが支えられていたのはもちろん、俺自身もそれを読んで、いっぱいいろんなことを感じていたんですよね。
だから、そういうみなさんからの声が自分にとってどういう意味を持っているか、というのをすごく考えていたんでしょうね。
そしてそれありきで、僕の歌がどう機能してほしいかっていうことを、次に書こうと思ったんでしょうね。それで1番は動機の部分で、2番は僕がしたいことになっていったのかな。
藤原基央/「CUT」2019年7月号
その発言の通り、この曲は以下の構成になっています。
1番・・・藤原が歌う動機について
2番・・・藤原が(曲を通して)したいことについて
藤原が歌う動機
1番では不安や恐怖を抱えたまま走り続けている様子が歌われています。
いつも迷路 終わらないパレード 止まったら溺れる
ゴールなんてわからないままで いつまで どこまで流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
藤原は2014年のツアー「WILLPOLIS2014」でこんな話をしています。
大好きなこと仕事にしてると楽しいことばかりじゃなくて、勇気を出さなきゃいけない時とかすごく覚悟しなきゃいけない時とかあって、すごいびびってるんですね。音楽にすごい助けられてるし。付いてくのがやっとなんだよね。怖いことばっかなんですね。
藤原基央/WILLPOLIS2014 東京ドーム
つまり藤原にとって音楽とは先の見えない恐怖の連続。国内トップクラスのロックバンドのボーカルだろうと。むしろトップクラスのロックバンドになったからこその恐怖もあるのかもしれません。しかしその迷路の中で、藤原が受け取ったものがあります。
時間と距離を飛び越えて 君のその手からここまで来た
紙に書かれた文字の言葉は 音を立てないで響く声
そうやって呼んでくれただろう 見上げればちゃんと聴こえたよ流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
ここでの「君」は素直に「B-PASS」の読者たちで、「紙に書かれた文字」は寄せられたハガキのことでしょう。迷路の中でもその音を立てないで響く声はしっかり届いていた。そして藤原はその後にこう歌う。
僕の上にも届いたように 君の空まで届いてほしい
せめて君に見えるくらいには輝いてほしい
流れ星の正体を僕らは知っている流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
藤原は読者(=リスナー)の存在があるから、怖いことばっかでも「君の空まで輝いて欲しい」と音楽を続けている。これが藤原が歌う動機だ。
藤原が(曲を通して)したいこと
正直1番だけでも十分に、うれしい!どうもありがとう!ってなるんだけど、まだまだ彼には言いたいことがあったらしい。
足元をよく見て階段一つずつ どれくらいざわついていても ひとり
肩を擦るように避けながら 世界に何億人いようとも ひとり流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
藤原の歌で一貫しているのがこの孤独認識。たくさん人が集まっても、それはひとりの集合体であって同じ気持ちになったり呼吸を一つにできるわけじゃない。でも、その認識があるからこそ藤原は「大勢のリスナー」という単位で僕らを見ない。あくまでも、ひとりひとりの人間であることを忘れない。
お前に会いに来たんだよ!
お前らに会いに来たんじゃないんだよ!お前に会いに来たんだ!
藤原基央/Aurora Ark 名古屋ドーム
これ叫ばれた時はまじで妊娠するかと思ったしなんならお腹さすった。
そして彼はその「お前(君)」に向けて歌う。
君が未来に零す涙が 地球に吸い込まれて消える前に
ひとりにせずに掬えるように 旅立った唄 間に合うように
命の数と同じ量の一秒 君はどこにいる 聴こえるかい
君の空まで全ての力で 旅立った唄に気付いてほしい流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
ここで藤原が歌に果たしてほしい役割が歌われている。実はここでは藤原(もしくは藤原の歌)が君を救うといったことは一切歌われていない。また、未来に流す涙を拭ってくれるとも歌っていない。未来に流す涙をひとりにせずに掬えるように、旅立った歌に気付いてほしいとだけ歌っている。BUMPが僕たちを救ってくれるという歌詞でも、泣かないでという歌詞でもない。
お前ら今日いっぱい歌ったじゃん、その歌声は未来のお前自身に向かっていくんだと思うよ。未来は何があるかわからないし、つらくてしんどいときが来るかもしれないけど、そういうときに力になれるように。今日の歌声を思い出せなくても、俺たちが歌って思い出す手伝いをするよ。どこにいようと俺たちの音楽はお前のことを絶対に1人にしないから。
藤原基央/Aurora Ark 東京ドーム
いつかリスナーの未来につらい出来事が訪れた時、BUMPのCDを聴いてワクワクしていた自分や、BUMPの歌に自分を重ねて泣いた自分、BUMPのライブで夢中で歌った自分を思い出すためのきっかけとしての役割を藤原は曲に求めている。
そしてラストのフレーズ
太陽が忘れた路地裏に 心を殺した教室の窓に
逃げ込んだ毛布の内側に 全ての力で輝け 流れ星
お互いに あの頃と違っていても 必ず探し出せる 僕らには関係ない事
飛んでいけ 君の空まで 生まれた全ての力で輝け流れ星の正体/BUMP OF CHICKEN
藤原が歌う動機と曲に求める役割を歌った後、自分の歌に全ての力で輝けと力強く歌う。そして、その輝きは必ず探せると。藤原でも君でもない「お互い」の環境や状況が違ってしまっても、藤原でも君でもない「僕ら」には関係ないと。
所感
僕は藤原の底なしの誠実さが好きだ。別にこの曲中で一度もリスナーの背中を押してくれるような歌詞はない。「大丈夫」とか「強くなれる」とか、無責任なことも言わない。つらい時にBUMPがそばにいて励ましてくれるわけでもない。そんなこと言われても大丈夫じゃない時もあるし、BUMPが物理的にそばにいることなんてない。彼らはそんな嘘で慰める歌は歌わない。だからこそ僕はBUMPの歌を信用できる。
僕にはBUMPの曲とBUMPの曲に紐づいた記憶や経験があるだけ。いつか僕が絶望した時、その曲たちが僕を救ってくれることもない。どんな時も絶望から自分を救ってくれるのは自分だ。
「グングニル」を口ずさみながら自転車を漕いで高校に通った朝も、「とっておきの唄」を聴いて好きな人のことを考えた放課後も、社会人になりたての頃仕事のミスで落ち込みながら「ダイヤモンド」を聴いた電車も、数えきれないほど夢中で飛んで叫んだ「天体観測」も、そして友達と一緒にこの歌を聴けた「Aurora Ark」も、全部の延長線上にいる僕がこれからも僕自身を救っていく。
あぁ、だから僕はBUMP OF CHICKENが大好きなんだ。
(追記)
序盤は落ち着いて書いてたのに段々温度感上がってくこの記事オタクみたいで気持ち悪いですね。